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2007年04月20日

◆バージニア工科大学 通り魔殺人事件

 バージニア工科大学の事件はショッキングですが、
アメリカの銃社会の事とか、メディアを通じると、
アメリカ映画を見ている感じがするのが正直な気持ちです。

 想像力で入りこめません。
 
 池袋の通り魔殺人事件に死刑判決ということは、
その辺りで起きそうで、怖く感じました。
 刃物であり、銃ではなかったからです。

 大学生と新聞配達員の違いがありますが、
犯人の素顔は同じようにかんじます。

 非難することは簡単で、悪いというのも簡単です。

 無口であったり、孤独になっていた犯人像。

 アメリカの場合は犯人が残したビデオや写真が
生々しさを感じさせました。

 誇大妄想、誇張された被害者意識という分析などがあっていました。

 アメリカの場合は、8年前のコロンバン高校の乱射事件に影響を
受けていたという分析もありました。

 ストレス社会のとおりだと、感じました。

 人間はストレスを感じると、
逃げるか、立ちすくむか、戦うか、を 選んでしまいます。
脳に組み込まれたプログラムです。
 脳と言っても、動物脳の部分です。

 コミュニケーションがとられずん、動物脳の部分に支配されると、
人間であっても、ストレス反応をするのだと分かる事件でした。

 チョ容疑者の言動には、ストレス反応そのままの言葉ばかりでした。
今までは、逃げるか、立ちすくんでいたのですが、
『窮鼠猫をかむ』状態になり、戦いを始めた姿が映像として流れていました。

 自分のこととして感じてみると、その事で殺人に向かう状態ではないのですが、
戦いに向かう、怒りの感情など、あることは感じます。

 どのように表現するかの違いと言ってしまっては、被害者になった方には、
悪いのですが、みな持っていることなのだと感じてしまいます。

 キャスターの人々の怒りの表現、正義に立場からの表現も、
またストレス反応です。過剰であるのかもしれません。

 もっと、ストレスについて、理解をし、
コミュニケーションを取れない人がいる人が多いことにも、
着眼した教育制度改革なりができるといいと思います。

 総論から意見の対立より、
各論で、できるところから手をつける戦術的な展開が必要だと
強く感じました。

 悲しいけれど、
このような事件は、まだ起こり続けます。  


Posted by TAOコーチ at 10:36Comments(0)社会 歴史